viewpoint – 視野を広げる

EPV0032

美術館の通路はひんやりとした空気が充ちている。両側の壁に並べられているのは無数の作品たち。この静寂ということばがふさわしい音のない空間で、彼女はいったい何を見ているのだろう?

額装をはじめて気づいたことがある。それは自分がこれまで美術館やギャラリーのアート作品につけられた額縁やマットの部分、いわば作品を保護している部分にどれほど興味がなかったかということ。不思議な話だが当の私にはそんなつもりは全然なく、自分はしっかり作品を見ているし、見落とした部分なんてひとつもあるはずがないという自負みたいなものだってあった。たぶん、生来の貧乏性のせいだと思うのだけど、せっかく企画展の入場料を払ったんだ、ひとつ残らず記憶にとどめておかないと損じゃないか、とずっと思っていたし、記憶していると思っていた。でも、いま思い返してみると意外なことに好きな作品のことは細部まで憶えていても、それがどんな額におさめられていて、どんな装丁をされていたかなんてほとんど憶えていないことに気づかされる。そして結局、自分は何も見ていなかったんじゃないかと愕然とさせられるのである。

ちゃんと見ているつもりでも、実際には抜け落ちているということは往々にしてあること。たとえば、あの有名なモナリザの絵。あの小さな美しい作品にどんな額縁がついていたかとなると、私はちょっと眉の付け根を寄せて考え込む必要がでてくる。たしかクラシックな額だったのは憶えている。金ぴかって感じじゃなくて、質素で地味な印象だ。でも、それ以上のこととなると記憶がはっきりしない。どんな風に額装されていたか? わからない。だが自分ではたしかにあのダ・ヴィンチの傑作の前で長い時間を過ごし、それこそ穴があくほど注意深く観察したつもりなのだ。妙な話なのだが。

そうしたことが額装をはじめてからずいぶんと変わったと思う。ただ変わったといっても作品自体への興味が薄れたということではない。作品と同時にその作品を保護するための額縁や額装の技法に興味を抱くようになったということ。ときには作品よりも強くその装丁の在り方に興味を惹かれるようにもなった。そしていまでは何を見ていても額縁や額装につい視線がいってしまう自分を抑えられなかったりすることがある。たとえば映画を見ていて主人公たちのやり取りよりもセットの室内にかかっている額に目がいってしまうみたいな。

先ほどのモナリザの絵に話を戻そう。モナリザの額縁はクラシックな木製の額で、金箔が貼られている。ただ額縁自体は時代によって変化しているらしい。そしてマットはなく、そのままおさめられている。現在では強固な防弾ガラスのケースによって守られているのは有名な話だ。いまでは私もモナリザを額縁を含めた形で記憶することができている。それだけ視野の裾野が広がったのだと思う。さらに視野を広げようと思えば、ルーブル美術館のことを考えることにしている。ルーブルのモナリザが安置されている部屋で、彼女がいったい何を見ているのかについて考えてみるのだ。


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