Encadreur N°6 Avant//Apres ポール・オースターとタイプライターの額装

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「わかりますよ」とクインは言った。
「いいえ、わかってらっしゃらないわ」と女は苦々しげに言った。「誰にもわかりはしないわ」
ポール・オースター『ガラスの街』柴田 元幸訳

人はだれしも人生の一番苦しい時期に支えになってくれたものをもっていると思う。僕にとってそれはポール・オースターの一連の著作だった。最初に手にした本はいまでもはっきりと憶えている。それは『リヴァイアサン』という小説。トマス・ホッブズの経済書と同じタイトルであり、ヨブ記に出てくる幻想の海獣リヴァイアサンの名前を冠したその題名に導かれるようにして学生時代の僕はその文庫本を手にした。そして、まさに巨大な渦巻きを起こす海獣に飲み込まれるようにして、オースターの紡ぐ物語の世界にのめり込み、息をするのも苦しかった時期を無事に乗り越えることができたのだった。

以来、オースターの作品はある部分において僕の人生の指針みたいなものとなったと思う。ある作家に惹かれるとその人をまるで愛するかのように調べ上げる癖があるのだけれど、そのときも僕はオースターの著作の長いリストを始めから順に読み進め、インタビューやエッセイで言及された作家たちの名前をノートの端に書き記しては本屋に訪れるたびに偉大な作家の系譜を遡る旅を試みた。ニューヨーク三部作を読み、僕がニューヨークに訪れるきっかけのひとつとなった『ムーン・パレス』を読み(僕はオースターの記述を思い返すようにセントラル・パークやニューヨークの街を歩いた)、野球についての考えを改め、鍵のかかった扉の向こうに潜む友人について考えをめぐらせた。

ここまで好きな作家だと一番好きな作品はどれと聞かれてもひとつを挙げるのは難しい。でも、どの本から影響を受けたかと尋ねられたとしたらきっと『最後の物たちの国で』を挙げると思う。その美しい作品では、しだいにものがなくなっていく世界が描かれている。オースターの作品はたいてい主人公に属しているものがしだいになくなっていくことがひとつの主題となっているけれど、この作品では都市そのものが失われていく。人々は住む場所を失い、ただ食物を求めてさまよい歩くのである。僕はいまでもその本の主人公アンナ・ブルームの視点で物事を考えようとする癖がある。まわりのものが次第になくなりつつある世界で、どうやって生き延びていくか、何か役に立つものはないかと注意深く観察し記憶しておく視点。この考え方はいま額装をするときにもとても役に立っていると思う。

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そんなオースターの作品の記憶をなにかしらのかたちで残しておきたいと思って額装作品をひとつこしらえることにした。これといったドキュモンが見つからなかったのでタイプライターのカードを使うことにした。というのもオースターはタイプライターに愛着をもっている作家(タイプライターへの愛を綴った本もあるくらいで、たしかもう生産されていないインクリボンを全米中から買い集めたりしているとどこかで読んだことがある)として知られているから。そして、僕は最初の作品『ガラスの街』の文章をタイプライター風に印刷した紙をパッスパルトゥに貼ってデザインしてみた。

完成した作品は本棚の傍のちょっと奥まった壁に飾り、作業中振り返ると目に入るようにした。また何かつまらないことで苦しむことがあったら、その作品をしばし眺め見て、孤独にタイプライターに向き合うオースターの姿を思い出し、また彼の著作に手を伸ばしてみたいと思う。


2015年10月02日 | Posted in Encadreur N°6 | | No Comments » 

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