Encadreur N°10 – going with the grain パンをめぐる冒険

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お土産でイチゴのジャムをもらったので、今日は朝から天然酵母のパンを作ることにした。(パン生地は昨夜のうちに作って一晩寝かせて発酵させておいた)

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休日の朝だったけれど、目覚ましのベルが鳴るよりも早く起きて、歯を磨いて顔を洗い、最初の発酵が終わったパン生地をスケッパーを使ってきれいに5等分に切り分けていく作業に取り掛かった。切り分けたパン生地をひとつひとつ丸めたあと、2次発酵が終わるまでのあいだ小一時間ほど音楽を聴きながら朝の時間を過ごした。丸めた生地がひとまわりほど大きくなったら、オーヴンレンジにいれて15分くらいしっかりと焼き上げる。すると小麦の香ばしい香りが朝のキッチンのなかにあふれてしあわせな気分になった。いつも思うのだけれど、パンの焼きあがる香りにはやさしさとやわらかさが充ちている。すっかり出来上がったパンをオーヴンから取り出すと、さっそくとばかりにお土産でもらったジャムを塗って少し遅めの朝食をとった。

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パンを食べ終えると、なんだか名残惜しいようなさびしいような気分になった。パンを食べたあとはいつもこんな気分になる。お腹いっぱいなのに、食べ足りないような妙な感じ。パンに対する飢餓感みたいなものといってもいいかもしれない。

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もしかしたらそれはわたしたちがずっと遠い祖先の時代から糖質を貪欲に追い求めてきたことの証左みたいなものなのかもしれないなとかなんとか考えながら、午後はパンをテーマにした額装作品とか小物とかで家のなかを飾ることにした。底なし沼みたいな食べ足りない気持ちは何か別のもので埋め合わせればよいのである。シンプルな幅広のビゾーで作ったミュルチ・フネートルの作品や昔つくったラリー・リバースの描いたパンとバターの素朴な絵を額装した作品とか、ビゾー・ファンタジー・ロンドと呼ばれる幅広の円形のビゾーを作る技法を用いた作品なんかを棚から取り出してきて、部屋の壁に一点ずつ飾っていった。

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家のなかがパンにかかわるもので充たされていっても、小麦を欲する欲望は留まることをしらないらしくて、結局明日の分として冷凍庫のなかで寝かせておいた残りのパン生地も全部発酵させて焼き上げる作業に取り掛かることにした。パンがオーヴンレンジでこんがりと焼きあがるのを待ちながら、ふとこんなに小麦に恋焦がれるなら街のパン屋にでもなればよかったのかもしれないと思ったけれど、少し前に読んだレイモンド・カーヴァーの短編『ささやかだけど、役にたつこと』のなかに登場する中年のもの哀しげなパン屋の主人の姿を思い出して、やはりパン屋になってくる日もくる日も朝の早いうちから仕込みの作業をするなんて到底できるもんじゃないと思い直した。なにしろわたしは飽き性だし、朝が何より苦手なものなのだ。  新たなパンが焼きあがるとわたしはそれらをまるでよくできたオブジェか何かみたいにシェルフの上に並べていった。パンがそこに並んでいるというだけでほっとした気分になった。

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夜になってすっかり家のなかがパンの気配で包み込まれたあとも、わたしの気分はぜんぜん充たされることがなくて、心の底にぽっかりと穴があいていて、そこから小麦粉がたえず砂時計みたいに流れ落ちて行ってしまっているような心苦しさを感じて、わたしは夜の街に出た。

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足早に駐車場に向かい車に乗ると村上春樹さんの短編『パン屋再襲撃』に出てくる主人公の夫婦みたいに夜の街をパン屋を探してさまよった。そして、まだ灯りのついている一軒のブランジェリーを見つけたときなんだか無性に救われた気分を感じた。ささっといくつかのパンを選んで会計をすませると、紙袋を抱えて逃げ帰るように車に戻り、車内で心ゆくまで買ってきたパンを食べた。紙袋のなかのパンを全部食べ終えると、いいようのない達成感を感じてその場で目を閉じた。これ以上パンについて深く考えるには疲れすぎていたわたしはあとでもう一度カーヴァーの短編を読み直してみようと心のなかで呟きながらたくさんのパンが待っている家への道を急ぐことにしたのだった。

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2016年09月09日 | Posted in Encadreur N°10 | | No Comments » 

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